高麗人参ナビ

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高麗人参の深い歴史

高麗人参の起源は2000年以上前?!

東洋医学の代表的生薬とされる高麗人参はいつから健康に良いと認識され始めたのでしょうか?それは、2000年以上前に遡ります。事実、前漢時代に執筆され、ユネスコ世界記憶遺産にも登録されている中国最古の医学書『黄帝内経』に、薬として使われていたことが記されています。この時代の高麗人参は、山奥の秘境のようなところでのみ採取することが可能でした。その当時、高麗人参は霊薬、仙薬などと呼ばれており、とても貴重な薬であったことが伺えます。

日本での高麗人参の歴史

そのように古くから生薬として知られていた高麗人参ですが、日本ではどのように広められたのでしょうか?その起源は奈良時代にまで遡ります。

奈良時代

初めて高麗人参が日本に入ってきたのは、奈良時代のことです。当時、現在の朝鮮半島 あたりに存在していた渤海という国から、聖武天皇への贈答品として輸入され始めました。それに対し、日本はお返しとして渤海に銀を届け、高麗人参と銀を交換する貿易を行っていました。

戦国〜江戸時代

その後も平安、鎌倉、室町時代と高麗人参は贈られ続けました。戦国時代に入ると、江戸幕府を開いたことで有名な徳川家康が高麗人参を愛飲していました。徳川家康は健康オタクであったことが知られており、30〜40歳が平均的な寿命であった当時に75歳まで存命しました。健康の秘訣は、高麗人参を含む生薬の積極的な摂取だったのでしょう。
その間、日本での栽培が取り組まれていましたが、なかなか成功には至りませんでした。しかし、8代将軍の徳川吉宗の時代、ついに日本での栽培が成功しました。吉宗は、高麗人参の種とその栽培方法を各地の大名に広め、全国での栽培を推奨しました。このことから、高麗人参は「御種人参」とも呼ばれています。

近代における高麗人参の研究の歴史

このように、健康に良いと広く認識され 、愛飲されるようになった高麗人参ですが、科学的な研究はどのような歴史を辿ったのでしょうか?

世界初の科学的分析

19世紀の後半には、アメリカ人のガリックが世界で初めて高麗人参の科学的分析を始めました。そして、1854年には配糖体を分解させることに成功し、その成分をパナキロンと名付けました。

1965年、化学構造が明確に

1960年代に入ると、東京大学の柴田承二博士と広島大学の田中治博士らのグループよって、高麗人参の研究が進められました。1965年には「薬用人参およびその類縁生薬のサポニンならびにサポゲニンについて」という論文を発表し、その具体的な構造成分が明らかにされました。

言い伝えから科学的根拠へ

このように、高麗人参はかつて仙薬や霊薬と呼ばれる高価な生薬として言い伝えられていました。その後、日本を含め世界各地で栽培されるようになり、科学的に成分分析をされるようにもなりました。これにより、高麗人参の存在やその効能が世間一般に広まりました。これが高麗人参の歴史の流れです。

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