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PJ: 大谷 憲史

自殺予防週間に寄せて=きっかけは多忙とパニック障害だった
2009年09月11日 07:50 JST

【PJニュース 2009年9月11日】9月10日は世界自殺予防デー。2007(平成19)年6月に閣議決定された「自殺総合対策大綱」において、毎年、9月10日からの11週間を自殺予防週間として設定し、国、地方公共団体が連携して、幅広い国民の参加による啓発活動を強力に推進することとされている。この自殺予防週間に合わせ、私の身に起きた事例を通し3回に分けて、自殺予防について考えてみた。

1996(平成8)年4月、上海日本人学校から宮崎に戻った私に待ち受けていたのは、文部省(当時)の研究指定校の研究主任であった。日本人学校でも研究主任をしていたので、帰国後は少しゆっくりしたいと考えていた。

学級担任から外され、理科専科として週9時間の授業を受け持ち、その他大半の勤務時間を研究指定校の研究に充てた。学校にいながら児童と接する時間は少なく、同僚から持ち込まれる研究に関する相談や資料作りに追われた。また、たびたび教育事務所に出向いては、担当の指導主事から細かい点を指摘され、そのたびに胃が痛くなる思いをした。

朝、子どもたちの顔を見ることなく出勤し、夜遅く帰宅して子どもたちの寝顔を見る生活が3年間続いた。休日も学校にいることが多く、家族サービスらしいこともできなかった。

研究主任という立場上、また、校長からは「あなたは海外で仕事をしてきたのだからどんな逆境にも耐えられるはずだ」という変な思い込みから、学校には相談相手はいなかった。

なんとか研究発表が終わり、年度が替わった99(平成11)年4月22日、私の人生の中で忘れられない出来事が起きた。

この学校では、職員朝礼の前に、校長、教頭、教務主任、研究主任の4人で本日の業務に関する打ち合わせを行う。その打ち合わせの最中に、突然私は立ち上がり、校長に対して激しく怒りをぶちまけてしまった。どうしてそのようなことをしてしまったのか、分からなかった。言葉を発した後、私は呼吸困難に陥り、校長室で倒れた。パニック症候群による過呼吸状態であった。初めてのことで、とても怖かった。

私は校長室のソファに横になり、学校医と養護教諭がそばにいた。学校医は、これまでのストレスがたまっていたのだろうと話した。この日は早退して帰宅した。

しかし、帰宅後、さななる出来事が待ち受けていた。

テーブルの上にメモがあった。「子どもを連れて実家へ帰ります」・・・。こういう話はドラマだけかと思ったが、自分の目を疑った。静まり返った部屋の中でぼうぜんとしていた。この日を境に、私はおかしくなっていった。

うつ病と診断されるのに、そう時間はかからなかった。

校長に病気のことを話し、学校での勤務の合間を縫って、時間休(1時間単位でとることができる休暇)を使って病院に通う日が続いた。

「早く治したい」という自分の意思とは裏腹に、なかなか症状が改善しなかった。子どもの前に立つことがつらい日もあり、たびたび学校を休むことも。校長の勧めで、一時入院した。

研究公開、パニック障害、離婚など、この学校ではいろいろなことがありすぎた。気分を一新するため、2001(平成13)年4月に転勤したが、そこでさらなる問題が起きることとなった。【つづく】

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