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PJ: 大谷 憲史

久しぶりに訪れた母の実家
2009年10月27日 07:48 JST


廃墟と化してしまった母の実家(いちき串木野市荒川にて、撮影:大谷憲史、10月25日) 

【PJニュース 2009年10月27日】車社会とともに郊外に公営墓地をつくる自治体が多く、私の先祖の墓も宮崎市の郊外にある。しかし、バスの便数が少なく、市内に住んでいても高齢の叔母たちには墓参りは大変なようである。墓参り代行サービスは、このような時代にマッチしたビジネスである。しかし、いくら遠くに墓があろうとも、自分の手でお参りをしないとご先祖様に申し訳ないと思う人もいるだろう。私の父もその一人である。久しぶりに、母方の墓参りに出掛けた。

父は81歳である。母は数年前に亡くなったが、どうしても母方の墓参りをしたいということで、10月25日に出掛けた。母の実家は、鹿児島県いちき串木野市である。宮崎から約3時間かかる。あいにくの雨で、車中からの秋の風景を楽しむことはできなかったが、途中、休憩しながら向かった。

いちき串木野市は、2005(平成17)年10月、串木野市と日置(ひおき)郡市来(いちき)町が合併して誕生した。今年9月1日現在の人口は、3万1396人。市内最大の串木野漁港は、遠洋漁業の基点であり、マグロの水揚げが多い。「つけあげ」と呼ばれる薩摩揚げが特産品である。

母の実家は山あいの荒川地区にあり、祖父は農業を営んでいた。祖父は私が高校2年のときに亡くなったが、子どものころからよく泊まりがけで遊びに行った。昔ながらの農家で、豚も数十頭養っていた。自然豊かな地区で、夏は川で泳ぎ、冬には雪も降った。祖父は無口な人であったが、西郷さんのような頼もしいじいちゃんであった。

祖父が亡くなり、私が大学に入り、そして社会人になると、次第に遊びに行くことが少なくなっていった。十数年前に、裏山が崩れる恐れがあるということで、その地を立ち退かざるを得なくなった。市が移転費用の一部を負担するということで、同じ市内の別の場所に住居を構えた。墓も市営墓地に移転した。

午前5時に宮崎を出発し、いちき串木野市に着いたのは、午前8時すぎ。市営墓地に向かい、墓参りをした。日曜日ということもあり、多くの方が墓参りをしていた。ほとんどが家族連れで、子どもたちは水くみをしたり、墓の掃除をしたりしていた。墓地に子どもたちの笑い声が響いていた。

その後、移転した母方の本家に立ち寄り、父は久しぶりにあった親戚と談笑した。再会するのは母の葬式以来だったので、父は良いひとときを過ごしていた。

帰り道、荒川地区の思い出の地に向かった。町並みは変わっていたが、荒川への道は相変わらずであった。なつかしい風景が飛び込んできた。小さな坂道を登ると、家の一部が見えてきた。しかし、草が生え放題で、車で中に進むことはできなかった。

車から降りてあらためてあたりを見回すと、そこには昔の面影はなかった。2年ほど前までは休みの日などを利用して親戚が草刈などをしていたようだが、敷地が広く、仕事の都合でなかなか手入れをすることができなくなったらしい。裏山に近かった住居は取り壊されていたが、一部は残されていた。祖父の住居であった。仕方がないことではあるが、少し悲しくなった。

農業の高齢化や後継者の不在で、休耕田が増えている。休耕田を活用して農業を再開するにも、土地の土壌のために時間がかかってしまう。母の実家の場合は、裏山の崩壊の危険性があるために思い出の地を離れたわけだが、危険性のない場所を整備して何かできないだろうかと考えた。複雑な思いで帰路に就いた。

墓参り代行サービスの登場で、墓参りや墓の手入れなどを頼むことはできるが、実際に足を運ばないと分からないこともある。父は「もう、行くことはないだろう」と話していたが、代行サービスに頼ることなく、私たちの代でできることはやっていきたいと思った。【了】

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