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PJ: 大谷 憲史

私の「書くこと」の原点は33年前の作文
2009年12月22日 07:40 JST


写真には第1回目の手術が思わしくなく「父親として最善の努力は続けたが」という言葉が添えられていた(鹿児島大学附属病院・鹿児島市 昭和42年5月5日 撮影:大谷香) 

【PJニュース 2009年12月21日】今年も残すところ10日余りとなった。子どものころに比べると、年末年始を迎えるどきどきするような感覚はなくなってしまったが、それでも新しい気持ちで新年を迎えようと、部屋の整理を行った。部屋には小・中学生時代にいただいた賞状がずーっとかけっ放しになっているが、ふと、ある賞状を見て思い出した・・・。

それは、1976年(昭和51)年10月にいただいた「第26回全国小・中学校つづり方コンクール宮崎県審査 優秀・宮崎県教育長賞」と書かれた賞状である。確かこの賞状の裏側には、父がその当時の新聞記事を入れておいたはずである。賞状を外してみると、色あせた新聞記事が出てきた。そこには、受賞した作文が掲載されていた。

私が「書くこと」への喜びを感じた最初の作文である。当時、中学3年であった。プラモデルが好きで、部活動は剣道をしていた。将来は、物書きか新聞記者を目指していたわけではなかった。たまたま書いた作文が国語の先生の目にとまり、つづり方コンクールに出すことになった。この作文で賞をとれるなど思っていなかっただけに、全校生徒の前で表彰され、新聞記事に掲載されたことで、少しだけ、書く楽しみを覚えた。

今でも決して上手い文章だとは思わないが、私の「書くこと」の原点は、この33年前の作文にあるといって良いだろう。恥ずかしいが、1976年(昭和51)年10月28日付け読売新聞宮崎版に掲載されたその作文を紹介したい。

◇ ◇ ◇

『手術』

「ねえ、おかあさん。もうあれから、十年になるねえ。あのころお世話になった看護婦さんや先生は、あの病院にいないだろうねえ」「うん、もう十年たったんだからねえ。でも、あんたを最初に手術した原田先生はねえ、宮崎に来て、大工町の眼科で仕事をしているそうだよ」「へえー。一目会いたいねえ」―――。

昭和四十一年の春、鹿児島大学病院でひとつの病気、先天性白内障を宣告された。生まれつきなもので目の瞳が白くなる病気と言われている。他の白血病やがんなどのように怖くはないが、僕にとっては怖かった。失明する危険もあるため、入院した。

「おかあさん、あのころとても怖かったよ。なにしろ五歳の時に手術したんだから、あの手術のことは一生忘れられないよ」―――。

一週間の精密検査を終え、一回目の手術を受けることになった。その日は朝から何も食べられず、腹が減るけどどうしようもなかった。母が売店で買ってきたマンガ本を病室で見ていた。だが、なんとなく落ち着かなかった。(中略)

手術台の向こうでは、消毒・殺菌のすんだ器具を台所にあるワゴンみたいな台に並べていた。さあ、そろそろ開始だ。少し不安な気持ちだった。手首と足首には、刑事の使う手錠みたいなものをはめて、動かないようにした。まるでカエルの解剖みたいだ。先生たちが、青緑色の帽子・マスク・服をつけて、五、六人やってきた。

「怖くないからねえ。今から麻酔をするから小さな声で一、二、三・・・と数えてね」といいながら、ひとりの先生が、僕の口の上にマスクを持ってきた。異様な麻酔ガスのにおいが鼻から口のあたりにたちこめて、呼吸といっしょに吸いこんだら、ねむたくなり始めた。

「十一、十二、十三・・・」

それからあとのことは、まったく覚えがなかった。二時間後、無事に手術は終わった。眼科用の手術中のランプが消え、戸が開き、僕が運ばれてきた。普通ならまる一日、麻酔が効くはずなのに、僕のときは、麻酔の効果がなくなりだしていたそうだ。

「ほんとうにあんたは、人をびっくりさせるねえ」「どうして?」「あんたはねえ、病室に帰る途中に、急におばけのQ太郎の歌をうたいだしたんだよ。びっくりして、看護婦さんが麻酔注射を打ったら、またねむっていたんだよ」「へえー、そんなことがあったの。全然覚えがないなあ」

こういうこともあったが、一回目の手術のことが一番印象深かった。安静期間がすぎて、手術後初めての診察を受けたその結果、順調になおってはいたが、視力は全然よくなっていなかった。

一年後、また入院することになった。入院期間は一年と一か月。手術をその期間中、四回も受けたが、四回とも結果は同じであった。全然視力があがっていないのだ。

手術は七回行ったが、先生たちはあきらめていて八回目の手術は行われなかった。

もうこのまま、僕の目はなおらないのだろうか。

今の医学では、白血病やがんなどのように完全にはなおせない病気はあるが、先天性白内障の病気を、完全になおすことは可能だと思いつづけていたが、先天性は、生まれつきという意味で、ある程度その人の性質に病気がとけこんでいて、ある程度までしかなおらないのではと、僕は今、そう思っている。

十年ひと昔とよくいっているが、そのとおりだと思う。あのころの経験は忘れてはならない。そして、努力をしてこの病気を完全になおしたいと思っている。(指導:藤原恵教諭)


「淡々とした文構成に工夫」
【評】 先天性白内障という目の病気の全快を期待して、七回にも及ぶつらい手術を重ねてきた大谷君です。初めての手術のようすを思い起こしながら、たんたんとした文で書きつづっていますが、それだけに、両親をはじめ本人の全快への思いが感じられます。最近の母との会話から度重なる手術を回想、そして現在の全快したいという意志へと文章が書き進められているところに、構成の工夫が見られます。 医学の進歩による視力の回復と明朗にして強い意思をもち続けることを読者とともに祈っています。(審査員・緒方司指導主事)

◇ ◇ ◇

原文のままである。当時の審査員の先生の講評もそのまま載せた。果たして当時の大谷少年の願いもむなしく、33年後の私の視力はまったく回復してはいない。

しかし、「駄文だ」「記事として成り立っていない」との批判を受け止め、反省の日々ではあるが、書くことへの情熱は衰えることはない。

市民記者として、取材を通して多くの方々と出会い、接することができた。来年はどのような出会いが待っているのか、とても楽しみである。【了】

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