PJ: 大谷 憲史
油津港沖に巨大艦船が停泊!〜宮崎県日南市
2010年02月18日 07:17 JST

久しぶりに見た海自の護衛艦「ひゅうが」(宮崎県日南市油津港沖 2月16日 撮影:大谷憲史) 
【PJニュース 2010年2月18日】2月16日、宮崎県日南市でキャンプを行っている広島東洋カープの取材の帰りであった。信号待ちで何気なく海岸に目をやると、やたらと大きい船が目に入った。近くには油津港があり、大型の輸送船が入港できずに沖合に停泊しているのだろうと、その船をよく見ると、どこかで見覚えがある形の船であった。もしかして、海自の護衛艦「ひゅうが」ではと思い、進路を変更し海岸へ向かった。
午後3時すぎであった。車を安全な場所にとめて、ビデオカメラのファインダーで確認した。船首近くに「181」の文字が見えた。確かに海上自衛隊第1護衛隊所属(母港:神奈川県横須賀市)のひゅうが型護衛艦でヘリコプター搭載護衛艦(DDH)の1番艦の「ひゅうが」であった。
身震いした。どうして、ここに停泊しているのだろうか。
護衛艦ひゅうがは、2009年7月25日、艦名にもなっている宮崎県日向市の細島港に寄港し、一般公開された。
艦名の「ひゅうが(日向)」は宮崎県の旧国名で、古くは「ひむか」と読んでいた。この艦名は旧日本海軍伊勢型戦艦の2番艦に付けられていた。
1918(大正7)年4月に就役し、43(昭和18)年に航空戦艦に改装された。改装後、戦艦伊勢とともに第4航空戦隊を編成し、米軍のレイテ島への進攻を受けて「捷一号作戦」に参加した。米軍機の集中砲火を受けたが、無事に帰還を果たした。
燃料不足の呉軍港に停泊していた戦艦日向は、45(昭和20)年7月24日から始まった空襲で、米空母艦載機の攻撃を受けて大破してしまった。終戦後に解体され、戦艦としての生涯を終えた。
このような歴史を受け、2代目「ひゅうが」は、はるな型護衛艦の後継艦としてIHIマリンユナイテッド横浜工場で建造され、海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦として2009(平成21)年3月18日に就役した。
宮崎県日向市は、「日本海軍発祥之地」であり、地元から「初寄港はぜひ日向市へ!」と熱い要望が海上自衛隊へ寄せられていたが、その念願がかない、2009年7月25日に寄港し、26、27日に一般公開された。
「ひゅうが」は、最大11機のヘリを搭載することができることから「ヘリ空母」とも呼ばれている。全長197メートル、全幅33m、高さ48mで、乗組員定員は約360人。
油津港へ向かう車の何台かは、「ひゅうが」の大きさに圧倒され、車をとめて見物していた。歩道を歩いていた人は、「何があったのですか?」とたずねる一幕も。
近くで取材をしていた地元のケーブルテレビの方にたずねたところ、「ひゅうが」は業務で油津港にやってきたとのことで、報道機関には事前に入港が知らされていたとのことであった。しかし、どこの報道機関も艦内取材は許可されず、仕方なく海岸から取材していたとのことであった。
午後3時30分すぎ、「ひゅうが」は錨を上げ、ゆっくりと出航した。
偶然にも「ひゅうが」の雄姿を見ることができたが、このヘリ空母が有事で使用されることがないことを祈りたい。【了】
■関連情報
【YouTube動画】
○DDH-181「ひゅうが」、宮崎県日南市油津港沖に停泊
○海上自衛隊護衛艦ひゅうが、日向市に初寄港(2009年7月25日)
○海上自衛隊護衛艦ひゅうが一般公開〜ラッパ隊の実演(2009年7月25日)
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